【未来のミライ】ネタバレあり 鑑賞後の感想「これエンタメじゃないよね」

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細田守監督の新作、未来のミライを見てきました。公開二日目ということもあり、事前情報は一切なしの状態での鑑賞ができました。結論から言うとガッカリ感が大きいです。ですが、これはあくまで私自身が細田守監督のターゲットから離れていたというだけであったと認識しています。なんというか、人を楽しませるというエンタメから離れてしまったなぁという感じです。賛否両論ありますが、レビューしていきます。

【未来のミライ】ネタバレあり 鑑賞後の感想「これエンタメじゃないよね」

 

未来のミライ ネタバレ有りのあらすじ

大雑把に言うと細田守版「クレヨンしんちゃん」

一人っ子だった主人公の男の子「くんちゃん」に、妹である「ミライ」が生まれた。両親の愛情を一身に浴びていたはずのくんちゃんだったが、両親や祖父母はミライちゃんばかり注目し、自分はもう可愛くないんだという、長男長女特有のコンプレックスに陥ってしまう。そんなある日、実家の庭に高校生となった「未来のミライちゃん」が現れる。目的は飾られている「雛人形」の撤去。紆余曲折あるが、撤去に成功すると、ミライちゃんは姿を消す。結局ミライちゃんの正体がなんだったのかはわからないが、ここからくんちゃんの時間旅行が始まる。母親の子供時代、祖父の青年時代。くんちゃんは肉親の過去を知ることで幼いながらも負ってしまったコンプレックスと向き合い、なんやかんやあって自転車に乗れるようになって終了。

鑑賞後の感想

レビューで多い「つまらない」という感想について

これについては概ね同意です。つまらなかったと言っていい映画だと思いました。ですが、つまらないという感想が正しい感想かどうかと言われると、難しい部分があるような気がします。というのも面白い面白くないと判断する材料が映画に無さすぎるからです。この映画で主人公は幼年ですが、作中で劇的な成長があったかというとそうではありません。じゃあ周りの人が成長したかと言えばそういうわけでもありません。気持ちの持ちようが変わったくらいでしょうか。観客の「面白い面白くない」という感想は、作り手が観客に面白いと思わせようと思うところから始まります。楽しませようという気持ちに対してのいわば点数付けみたいなものが、観客の感想になると思います。ですがこの映画には、観客に楽しんでもらおうという気持ちがこもっていないような印象を受けました。レビューにも多く見られた感想ですが、淡々と、どこかの家庭のホームビデオを見ている感じです。ホームビデオに対して面白い面白くないという感想をもつ人は少ないと思います。なのでこの映画につまらないというのはなんとなく、ピンと来ないです。

何か始まりそうで、何も始まらない映画

この映画ですが、何の説明もありません。最後まで見ても、映画のタイトルにもなっている未来のミライちゃんがなんだったのかわかりません。何か匂わせるようなものもありません。なぜ犬が人間になるのか、なぜ尻尾を尻に指して獣人化するのか、毒々しい新幹線はなんなのか、何一つ明かされず終わります。起承転結がほとんどないのです。問題は脚本にあると思います。映像は確かに素晴らしく、子供の挙動をとてもよく観察して作られていることは感じました。ですが肝心のストーリーがまるでないため、何も始まらず、何も解決されないという映画になり、酷評が多くなっていると分析しております。

これは児童文学だと思うと納得がいく気がする

ここで一つ、この映画を表現するのにピッタリな単語がtwitterで流れてきました。児童文学です。この映画はくんちゃんが空想の世界を冒険する児童文学であると考えると少し納得がいきました。児童文学は大人が読むものではありません。子供が楽しめればいいのです。そこにストーリーも、理論的根拠も、エンターテインメントもない。そこにレビューも存在しないのです。それはターゲットが完全に子供(幼年)だから。おとうさんやおかあさんが子育てに奮闘するのも、大きくなった妹が登場するのも、犬が擬人化するのも、児童文学であれば、それだけで納得できました。理由はいらないんですね。

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宣伝内容がよくなかったように思う

映画の予告を見直すと、映画の内容と印象がまったく違います。どちらかというと、未来のミライとの冒険活劇的な印象です。本編はそんなことありません。他の家族のアルバムを見せられるようなものです。「ぼくらのウォーゲーム」や「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」のような映画に感動し、細田守に期待している観客にとって、これは肩透かしを食うでしょう。というのも予告はそんなようなものを期待させるような構成になっているからです。観客が細田守に期待するものと、細田守が描きたかったものに大きなギャップを感じました。伝えたいことは一貫していると思います。「家族愛」。おおかみこどもの雨と雪から続く、家族愛が描かれています。おおかみこどもでは、人ならざる者との家族愛、バケモノの子では血が繋がっていない者どうしの家族愛、未来のミライではやっと人と人で家族愛を描くということだったと思うのですが、どうしてこうなってしまったんでしょうか。正直残念で仕方がないです。先程この映画が児童文学だと言いましたが、そのままの意味で、この内容だったら児童文学として絵本でだせば良かったじゃんと思ってしまいます。映画という、エンターテインメントにのせて発信しなくてもよかったのでは・・・と。

最後に

何を描きたかったのかわからないというレビューを書かれている人がいましたが、描きたいことは明確だと私は感じました。「家族愛」です。ただエンターテインメント性が無さすぎたということが、今回の賛否両論につながっていると思います。ですがこういった批判的な感想がでることを細田守監督が予想していなかったとは考えられないんですよね。ぼくらのウォーゲームという最高のエンターテインメントを作れる人が、あえておこなった実験的な作品だと思います。しかし結果として細田守作品にハズレ無しというブランドに傷がついてしまったのではと少し心配です。クリエイターとして同じようなエンタメを作ることに疲れてしまったのか、娘さんが生まれて、その喜びが強すぎての衝動なのかはわかりませんが、非エンタメの衝動を未来のミライで発散してもらい、次回作でまた最高のエンターテインメントを作ってもらえたらなと、ファンの一人としては思っております。
以上です。
読んでいただきありがとうございます。

エヴァの予告

シン・エヴァの予告映像の衝撃が強すぎたというのも(逆に)問題でしたね。エヴァ楽しみです。

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