ジャッキーチェンのデビュー作からハリウッドデビューまでを調べてみた
こんにちは。
最近、急にアクション映画を見たくなりまして、Amazonプライムでアクション映画を検索したところ、実にたくさんのアクション映画があるのですが、その中でもジャッキーチェンが出演する映画がとても沢山あることに気づきました。
お恥ずかしながら、あまりジャッキーチェンさんの事をよく知らなかったので、映画を見る前にどういう人なのか調べてみることにします。
よろしくお願いします。
ジャッキーチェンとは
香港出身
生まれた時の名前は陳港生(チャン・コンサン)
1954年4月7日生まれ
AB型
妻は元女優のジョアンリンさん
息子は俳優のジェイシーチャンさんです
お父さんは元スパイの方だそうで、ある日突然お父さんから陳港生(ジャッキーチェン)の本当の名前は陳房(ファン・チャン)である事を告げられたそうです。
同時に父方に息子が2人、母方に娘が2人いる事も知ったようでジャッキーチェンはお兄さんには会ったことはないけれど、お姉さんには会ったことがあるようです。
ここまで調べただけでも、一般庶民とは違う人生を経験されている事がわかりました。
ジャッキーチェンがヒットするまで
1972年、無名時代にブルースリーの映画「ドラゴン怒りの鉄拳」にスタントマンやエキストラとして参加してるようですが、出演者の代わりに吹っ飛ばされる役のようで、映画を見てもジャッキーチェンだと気づくのは難しいようです。
1973年に公開されたブルースリーの「燃えよドラゴン」でもエキストラを務めましたが、その後、両親が住むオーストラリアへ戻り左官やコックの仕事をしていたようです。ずっと、俳優をされていたわけではないんですね。
俳優業を諦めていたわけではないようで、1973年に自身の主演作が決まり、撮影に臨んだそうです。
ですが、その製作は低予算・悪条件だったようで、この作品制作はわずか7日間で終了、いわゆるセブンデイズ映画と呼ばれるものだったようで、ジャッキーチェンは愕然としたそうです。
その後、1973年7月20日。ブルースリーが急死したというニュースがジャッキーチェンの元に届きます。ブルースリーの遺作となった「燃えよドラゴン」は死後、世界中で公開され、大ヒットしますが世界的なスーパースターになった時には、この世にはいない存在でした。
そして時代はコメディーやロマンスを描いたドラマが中心となり、中国武術を使用した映画、カンフー映画の数は激変していました。
ジャッキーチェンは貯めたお金を切り崩しながら、カンフーとは違う映画に出演するなどし、映画はまずまずヒットしたが、ジャッキーチェンにとっては仕事を得るのは難しい状況が続いたそうです。
1975年に「ゴールデン・ハーベスト」という会社に入社。まだ数が少なかったカンフー映画「少林門」に準主役で出ることに。しかし、1976年の夏に香港で公開されたこの映画は、ヒットせずに終わったようです。
1976年。ブルースリーの作品監督であるローウェイから声をかけてもらい、ジャッキーチェンはローウェイプロと専属契約。それまでの芸名「陳元龍」から「成龍」と改名。この成龍が日本名で「ジャッキーチェン」となります。
同じく1976年に公開の「レッドドラゴン/新・怒りの鉄拳」で再デビューしました。しかし、ジャッキーが監督の要求に思うように応えられず、監督は時折、激怒。ジャッキーはその度にマネージャーへ不安や悩みを伝え、マネージャーは何度もなだめて撮影を続行させたようですが、監督であるローウェイは現場を抜け出し、ギャンブルをしに出かけてしまい現場は人に任せっきりだそうです。
この作品の撮影からわずか2か月後、「少林寺木人拳」の撮影に取り掛かったが、こちらの監督もローウェイさん。全作品の出来に嫌気がさしたのか、ジャッキーチェン同様に低賃金で雇った監督チェン・チーホワへ実際の撮影現場を任せっきりにしました。
実は前作品の撮影監督をしていたチェン・チーホワさん。ジャッキーチェンとも年が近い事もあって、意気投合。二人であれこれと意見を出し合いながら、作品を作り上げたそうです。
ジャッキーチェンはのちのこの作品を「これはある意味僕の最初の『夢の映画』映画作りはこうあるべきだと思い作った」と語っています。
1970年代後半。ブルースリーの後継者として期待されますが、すぐにヒットには至らず。ジャッキーは製作者側にストーリーやアクションにコミカルさを加える事を注文します。そうする事で、自身のキャラを生かした作品づくりを目指したそうです。
1977年「スネーキーモンキー 蛇拳」に出演。ジャッキーが独自のコメディー路線を生み出したこの作品は、高い興行成績を記録しました。
ここから分かることは、人から言われた事をそのまま言われた通りに実行するのではなく、自分の意見はハッキリと相手に伝え、意見が合わなくてしょうがない時には、場を変える事や相手を変える事が大事なんだなと思います。
1978年「ドランクモンキー 酔拳」でジャッキーはスーパースターの地位を不動のものにした。その後、1979年の「クレージーモンキー 笑拳」では監督業にも進出し、同じ年にローウェイプロを離れ、新たにゴールデン・ハーベスト社に入社したそうです。
トップスターに上り詰めたジャッキーチェンのその後
1980年代になると、ハリウッドに挑戦。
1988年の「ラッシュアワー」が大ヒットし、ジャッキーチェンはハリウッドでも知られるようになりました。2001年続編の「ラッシュアワー2」は全世界興行成績で大ヒットを記録。
その後、立て続けにアメリカ映画に出演しついに、アカデミー賞のプレゼンターを務めるまでになったそうです。
2011年記念すべき出演作100作目の映画「1911」が公開。2012年の「ライジングドラゴン」では体を張ったアイクション映画はこれで最後と宣言したそうです。
2016年、アカデミー名誉賞を受賞した。
残念ながら、激しいアクションはもう新作が出ないんですね。現役のジャッキーチェンを映画館で観たかったです。
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ブルースリーの映画も無料で見られるようですね。
今からどの映画を観ようか、ワクワクします。
以上です。ありがとうございました。