喜嶋先生の静かな世界のラストを徹底考察!あらすじと名言も紹介(ネタバレ注意)
「喜嶋先生の静かな世界」という小説があります。
ラストの10ページは怒濤の展開で突然と事切れるように結末を迎えます。
このラストシーンには様々な考えがあるようですが自分なりに考察してみようと思います。
激しくネタバレ注意です。
よろしくお願いいたします。
なぜ「喜嶋先生の静かな世界」はあの結末を迎えたのかの考察
作者:森博嗣について
概要
森博嗣(ペンネーム)
生年月日:1957年12月7日
血液型:B型
星座:いて座
出身地:愛知県
職業:工学博士(引退済み)
趣味:模型、物を作る事、イラスト、車、骨とう品、粘塑性流体の数値解析手法の研究・・・(粘塑性:ねんそせいと読むようです。)
家族構成:妻、愛犬
性格:本人曰くアマノジャク
「喜嶋先生の静かな世界」のあらすじ
文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。
大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、
僕のその後の人生を大きく変えていく。
寝食を忘れるほど没頭した研究、
初めての恋、
珠玉の喜嶋語録の数々。
学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、
読むものに深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。
紹介文より
主人公橋場君の成長、恋、恩師との出会い、そして別れまでを描く小説。
この小説はタイトルのように静かな小説です。
しかし静かですが熱くこみ上げてくるものがあります。
そして深く、深く、頭の中のさらに奥へ潜っていく感覚・・・。
ラストに近づくについて頭の深海にやっと到達できたと思いきや
急に陸へ打ち上げられるようなそんな結末。
なぜこの小説はあの結末を迎えなくてはいけなかったのか。
考えてみましたがあの結末に至るのは必然であったと思います。
そんな考察を書いていきます。
「喜嶋先生の静かな世界」結末の考察
結末について考察してみましたが、複数パターンになってしまいました。
ただしなぜ喜嶋先生と音信不通になってしまったのかについては必然であったことに収束します。
考察①「橋場くんは現実」で、「喜嶋先生はフィクション」の存在だと言いたかった。だから最後のページで喜嶋先生は消えた
喜嶋先生の言動は研究者の理想が形になったようなものです。
それは作中の橋場くんの独白からもわかります。
「この人は本当に尊敬に値する人物だ、ほかにいない、ナンバ・ワンだ、と僕は確信した。
もちろん、研究面ではそんなこと、とうに感じていただけれど、やっぱり、僕が理想とする人物像とでもいうのだろうか、そういう存在であってほしかった。」
あらすじでも紹介したようにこの小説は森博嗣さんの自伝的小説です。
奥さんの名前が「星」の名前であることからも、
橋場くん=森博嗣の構図であることがわかります。
独白であるように喜嶋先生は実在しない。本当に「フィクションの存在」であると森博嗣さんはわかっていて小説を進めます。
「こういう人がいて欲しい、いたらいいな。でもこんな理想な人はいないんだよね」
こんな静かな叫びが聞こえてきそうな文章です。
そしてラストでは喜嶋先生(フィクション)は姿を消してしまった。
そんな風に私は最初感じました。
そう考えると結末に向かうにつれて橋場くんの元を登場人物たちは次々と姿を消していく理由が見えてきます。
つまり物語終盤で「橋場くんの元を離れなかった人物=現実の人物」であり、「姿を消していった人物=フィクション」と考えることはできないでしょうか。
橋場くんの元を離れなかった人物は誰でしょうか。そう「清水スピカ」。
森博嗣さんの奥さんの名前は「スバル」。星が由来の人物です。
喜嶋先生も櫻井さんも沢村さんもフィクションだった。
清水スピカはフィクションではなかった。
だから喜嶋先生と櫻井さんは音信不通になり、沢村さんは自殺してしまった。
過程はどうであれ、「フィクションは姿を消す」ということが自伝的小説の結末として必要だったのではないでしょうか。
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考察②:偉い人へ頭を下げることをできなかったがために喜嶋先生は姿を消した。
いきなりぶっちゃけてしまうと喜嶋先生はKYです。
「空気が読めません。」
いや「あえて空気を読まない」と言った方が正しいでしょうか。
喜嶋先生は、いうなれば主催者側の人間だ。それなのに、場の雰囲気を壊すような発言をされたことが、たぶんエキセントリックだと揶揄されるところかもしれない。
司会者は聴講者に拍手を求め、基調講演は終了し、コーヒーブレイクになった。
櫻井さんも溜息をついたし、たぶん周囲の人たちのうち何割かが、喜嶋先生に批判的な視線を向けていた。けれど、僕はそうは思わなかった。まったくその逆に、喜嶋先生が凄いと思ったのだ。
講演会で鋭い指摘をいれた喜嶋先生に周囲は冷ややかな反応を示しています。
現実でもこういうことを経験することは少なくないと思います。
ですがたいていこういった状況に陥ると指摘をしたほうが悪者のような扱いを受けますよね。
賢い人間は指摘事項に気づいてもムードが悪くなるのを恐れ発言を控えるケースが最もだと思いますが喜嶋先生は違います。
「喜ばしてもしかたがない。人を喜ばせるために研究をしているわけではない」
先生はそんなふうにおっしゃった。その研究者を喜嶋先生は以前から尊敬していたそうだ。そもそも、誰を招待するか、誰に基調講演を依頼するか、というときに、喜嶋先生がその研究者を強く推薦したらしい。そういうことと、あんな攻撃的な質問をしたことが、喜嶋先生にとっては少しも矛盾していないのだ。
それが僕にはとてもよく理解できた。おそらく、その研究社にも、喜嶋先生の姿勢は正しく伝わったことだろう。研究者の本当の誠意というものを、僕はこのとき目撃したのだ。
賢いから黙るのではなく、賢いからこそ研究者として正しい姿勢を貫く。
そんな言動を喜嶋先生はこの時以外にも見せることになりますが、それはつまりその分「敵を増やす」ことに繋がります。
喜嶋先生は、優れた実績を残しているにも関わらず、作中でずっと助手のままです。
物語の終盤でも描かれていますが研究費を稼ぐ先生が出世していくようです。
紙と鉛筆さえあればどこでも研究はできるよ。と喜嶋先生はよくおっしゃっていた。
喜嶋先生がいかにそういったものに無縁かは今までこの小説を読んできた人にはわかります。
「稼がないし、敵も多い。」
「いくら優秀でも社会で生きるために純粋な研究者のままでは生きていけない」
そんな森博嗣さんからのメッセージとして喜嶋先生が消えるというラストを迎えたのではないでしょうか。
追記 考察③:老いていく自分の能力に絶望した
この記事を書いてからも、この本のレビューを読んでいましたが、皆さん色々な意見を持っていて非常に参考になりました。
レビューではありませんが一つ、気になったものがありましたので追記しておきます。それは落合陽一さんという、現職の研究者のツイートです。
母が結婚の顔合わせときに「この子の最終到達点は自分の能力低下を許せなくて自殺することですけど結婚していいんですか?」って言ってて流石だと思った.
— ✨✨おちあいよういち✨✨ (@ochyai) 2018年8月11日
厳密には落合陽一さんの母様の言葉ですが、研究者の最終到達点は、老いによる自身の能力低下を許せずに自殺することだと言っています。
このツイートを見かけて、あぁもしかしたら喜嶋先生も、老いていく自分の能力が許せなくて自殺してしまったのかもしれない、そんな風に感じました。
これなら、最後に沢村さんが自殺してしまう理由もわかります。後追いです。
どちらにしても、悲しい結末であることは間違いありません。
本当に「圧倒的な読後感」を感じる小説でした。
終わりに
私が「喜嶋先生の静かな世界」を読んだのは丁度学部3、4年の時だったと思います。
大学生の時にこの本に出合えたというのは本当に運が良かったです。
まさに小説内で、橋場くんがやっていることと同じことを、自分もやっていると、橋場くんも頑張っているんだから自分も頑張ろうと論文作成のために徹夜をしたりしていました。(でも徹夜は良くない)
当時は櫻井さんや喜嶋先生が消えていった理由がわからなかった。
でも、自分が社会人となって企業務めをしていくうちになんとなくその理由がわかってきたように思います。
純粋な気持ちだけでは生きていけない。
お金を稼がなくてはならない。
下げたくもない頭を下げなければならない。
純粋に学問に向かう人間では耐えられないような理不尽さが待っています。
それでも学問の深遠さを信じられるのは、
喜嶋先生のような人間がどこかにいるのではないか。
「自分ではできないことを成し遂げているような研究者がきっと世の中のどこかにいてくれる」
そう信じないとやっていけない。
そんな気持ちを橋場くんも感じたのかなと思っています。
以上です。
読んでいただきありがとうございます。
追記
森博嗣さんが現在刊行中のWシリーズについてエントリしました。
お時間ありましたら是非
↓
[blogcard url="https://trend-tracer.com/wseries/"]
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